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変わらない意識 ・意識を変える (避妊 他) ニュース記事に関連したブログ

2012/02/12 15:14

 

“避妊しない女性たち” という記事を読んで、30年以上昔の女性たちの意識を確実に記憶しているわけではないけれど、セクハラなどに対応する意識が大きく改善されているのだから、もう少し変化があるものかと思っていた。

避妊をしないのであれば、自分だけのちからでも子どもを生んで育てるという意識になっていると思っていた。

 

避妊の知識も乏しければ、妊娠した責任も取ることが出来ない。

「中絶をすれば良い。」という意識は、自分の身も心もボロボロにする。

身も心もボロボロになったことを知るのは、中絶をした後のことだから仕方ないと言えば、仕方ないのだけれど・・・

 

もっとも、私のこの意識は、中絶をしていないのだから、想像に過ぎないのかも知れない。

私の先輩たち・・・  たぶん、10歳以上年上の人たちの感想を雑誌などで知って、私は何があっても中絶をしないと心に決めていた。

 

凶悪犯に強姦されて妊娠したというドラマがあった。  もちろん、ドラマの中では、中絶をした。 被害届も出さずに中絶をした。  すべてを白紙にしたいという両親の考えに逆らうことも出来ずに、女性は悶々とした日々をすごしていた。

結末がどうなったかは忘れたが、私だったらどうするだろう? そのような思いが、常に心のどこかにあった。

 

月日は流れて、私は結婚前に妊娠した。

出逢って間もなく結婚を決めて、お互いの両親に出逢って・・・

1ヶ月もしないうちに式を挙げる予定だった。  だが、特に反対する理由などないのに、父が反対した。父のその時の気分で反対されて、他の家族にも反対されて、ある時期には、結婚を諦めたこともあったけれど、子どもを生むことだけは諦めることはなかった。

 

その後、父に反対されるまま、結婚した。

10年以上過ぎて、反対された時のことを父と振り返った時、その本当の理由を知った。  子どもの幸せを願う父親の想いはまったくなかった。(これは虐待だったと思う。)

父の反対に同調して反対した、母以外の家族・・  兄や姉たちの言葉からは私の幸せを願う気持ちがうかがえたけれど・・・

 

だが、私にはそんな父を非難する資格などない。

なぜなら、私は・・・    以前にも書いているが、父の強引な願いによって、生まれることが出来たのだから。

 

いままでのすべては、無教養による・・・   過失の多い時代だったと考えるしかない。

人々は、過失によって生まれ、過失によって生命が失われたことになる。

 

これをこれからも続けるのか?  続けても良いのか?

 

良い訳がない。

 

だから、基本から考え直すしかない。

 

高度経済成長時代を経て、成熟時代に至っているとも言われている現在。  成熟されている、つまり、99%完成された時代とも言える。

建物で言えば、外観は完成されて内装に取り掛かっているところだろうか?

内装を始めたところで、不具合のあることが分かった。 と言ったところだろうか?

その不具合が、数年前の建築構造計算の改ざん問題のような場合、発注した人は、それまでに要したお金を払うだろうか?  初めからやり直して、発注した時点に戻ってやり直してほしいと思うだろう。

 

成熟を辞書で調べると、“物事をなすに適当な時期になること” と書かれている。

つまり、別の視点で見ると、99%完成された状態ではあるけれど、これまでのことをすべて壊して、基本から作り直すのに良い時期とも考えられる。

 

これまでは、セックスについては、“いやらしいこと” “表立って話題にしてはならないこと。” “夜の営み” “二人だけの秘密” など、本当はとても重要なことなのに、悪いことや影のような存在となっている。

 

これを表舞台に出すことを考えれば良いのである。

学校教育の一部に取り入れるとか・・・

私の場合は、教育も選択出来る方法が良いと思っているので、学校に行かない子どもでも、セックスについては必須科目の中に入れるようにすることを望む。

 

家庭とは? ・様々な愛情について ・性が果たす役割(女性と男性の違い、身体の性別と心の性別) ・生物的な受精とかその後の成長について ・セックスの果たす役割 ・性病の予防や避妊の必要性、これらがひとつ(一連)の教科となって学べる形式にするべきだと思う。

 

“石橋は、たたいて渡る“

そんな言葉もあるけれど、ある人は言った。

“石橋は、たたいて壊して、自分で作って渡る” と。

そのような方法もある。

 

私の中では、子どもが小学生時代から妊娠中の赤ちゃんの成長や命の大切さを教えた。 子どもたちがどのようにセックスを考えているのか避妊をしたのかについては話したことはないけれど、少なくても長女は、妊娠に気がついたときから、“生む” という選択しか考えなかった。

孫が1歳になる頃には離婚をしてしまったが、私たちと共に過ごしている孫を、長男も次女もとても可愛がっている。

3歳未満だからか、孫は父親がいない淋しさを感じていない。

もっとも、父親も、遠くにいて話は出来ないけれど、誕生日とかクリスマスにはプレゼントを贈ってくれる。

 

孫の様子を見て、私は子どもたちの育て方を間違えていないと確信することが出来る。

この子が、50歳になった時に、自分の生い立ちや育ち方をどのように感じるのか分からないけれど、家族に愛されて、社会にはより良い環境を与えられたと感じてもらえるように、自分のこれからの生き方を考えていきたいと思う。

 

私の考えているようには、社会は変化しないと思う。

だが、私が願っているように、人々が幸せを実感する社会になってほしいと思う。

色々な苦難があることが当たり前で、その苦難を自分自身の力で(人々と協力し合うこともその人の力のひとつと考えて)乗り切った時に、本当の幸せ、満たされた心があることを理解してほしいと思う。

 

 

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